2026.10.03
『岡田煉瓦100年史』が、私たちに残してくれたもの。
― 100年の記録から、130年の物語へ ―
2027年4月、岡田煉瓦は創業130周年を迎えます。その節目を前に、今だからこそ残しておきたい話があります。岡田煉瓦には、『岡田煉瓦100年史』という一冊の本があります。創業100周年を迎えた1997年に発行された社史です。私にとって、この本は岡田煉瓦の「財産」の一つです。しかし、この100年史がどのようなきっかけでつくられ、誰がどんな想いで残したのか。その制作の裏側について、私はこれまで詳しく聞いたことがありませんでした。100年史が発行されてから、まもなく30年。当時を知る人の記憶が色褪せてしまう前に、その物語を残しておきたい。そこで今回、100年史制作の中心にいた5代目・岡田敏夫、現在の岡田煉瓦会長に、当時の話を聞きました。
きっかけは、水野信太郎先生のひと言だった
1997年の創業100周年を迎える少し前。当時、岡田敏夫は専務で、4代目社長を岡田鑛太郎が務めていました。『岡田煉瓦100年史』をつくるきっかけとなったのは、煉瓦の歴史を研究されていた水野信太郎先生からの提案だったそうです。当時、岡田煉瓦より古い煉瓦メーカーとして日本煉瓦製造株式会社があり、岡田煉瓦はそれに次ぐ古い煉瓦メーカーでした。煉瓦メーカーが少なくなっていく中で、その歴史を記録として残すことの大切さを誰よりも知る水野先生から、「100年の歴史を残してはどうか」という話がありました。しかし岡田煉瓦は、従業員15人ほどの小さな煉瓦工場です。いくら水野先生からの提案とはいえ、自分たちの100年の歴史を一冊の本にする。敏夫自身、最初は「そんなことができるのだろうか」と思ったそうです。
段ボール2、3箱から始まった
それでも敏夫は、100年史をつくることができるのか、4代目の鑛太郎に相談しました。すると、昔の資料が大量に残されていることが分かりました。段ボールにして、2、3箱。長い間、大切に保管されてきた古い資料です。そこで敏夫は、幼馴染であり大学の同級生でもあった、出版社の友人に相談しました。資料を見てもらうと、
「これだけあれば、いいものができる」
という返事が返ってきたそうです。水野先生のひと言から始まり、4代目が残していた資料が見つかり、出版に詳しい友人が背中を押してくれた。こうして、『岡田煉瓦100年史』の制作が動き始めました。

歴史を知る「人」が、まだいた
資料だけではありませんでした。当時の岡田煉瓦には、もう一つ大きな財産がありました。大正生まれの4代目・岡田鑛太郎です。会社の歴史は、資料だけですべてを知ることはできません。なぜ、そうしたのか。当時はどんな仕事をしていたのか。どんな出来事があり、人々は何を考えていたのか。その時代を実際に生きた人だからこそ、話せることがあります。4代目の鑛太郎は、まさに岡田煉瓦の歴史の「生き証人」でした。鑛太郎の証言と、大切に保管されていた資料。そして、日本の煉瓦史を研究していた水野先生が編集委員長を務め、日本の煉瓦の歴史と岡田煉瓦の歩みを一冊の本にまとめていきました。今になって考えると、100年史をつくることができたのは、ちょうどこの時だったからなのかもしれません。資料が残っていた。そして、その資料について語ることのできる人も、まだいた。どちらか一方が欠けていたら、現在残っている『岡田煉瓦100年史』は生まれていなかったのかもしれません。
1997年11月27日、『岡田煉瓦100年史』発行
創業100周年を迎えた1997年。11月27日、『岡田煉瓦100年史』は発行されました。そして同じ年、100年史制作を進めてきた岡田敏夫は、5代目社長に就任します。完成した100年史は、社内だけに保管されたのではありません。全国の国立図書館や県立図書館、煉瓦と関わりの深い地域の市立図書館などにも寄贈したそうです。自分たちの会社のためだけではなく、岡田煉瓦の100年を「記録」として世の中に残す。そこまでが、100年史をつくるということだったのだと思います。
そして2012年、私は岡田煉瓦に入った
それから15年が経った2012年。私は結婚を機に婿養子として岡田家に入り、後継者として岡田煉瓦で働き始めました。私は岡田家に生まれた人間ではありません。当然、岡田煉瓦の歴史もほとんど知りませんでした。そんな私に、岡田煉瓦のことを教えてくれたものの一つが、『岡田煉瓦100年史』でした。創業した頃のこと。昔の工場の姿。どのような煉瓦をつくっていたのか。どのような仕事をしてきたのか。そして、歴代の社長がどのような時代を生き、会社をつないできたのか。今思えば、1997年に100年史をつくるという決断がなければ、私が一生知ることのなかった歴史もたくさんあったと思います。様々な物語を知ることで、私は少しずつ「岡田煉瓦」という会社を知っていきました。100年史が残してくれたのは、年表や出来事だけではありませんでした。そこに生きた人たちの想いや、会社が歩んできた時間そのものだったのだと思います。
歴史の中に、会社が続いてきたヒントがある
100年史を読んでいると、単に昔の出来事を知るだけではありません。時代によって、つくるものは変わっています。設備も変わっています。お客様も、煉瓦の使われ方も変わっています。それでも、岡田煉瓦は続いてきました。そこには、歴代の社長や職人たちが、その時代ごとに何を考え、何を大切にしてきたのかが残されています。私はそこに、岡田煉瓦が130年近く続いてこられたヒントがあるように感じています。そして歴史を知り、「岡田煉瓦とは、どんな会社なのか」を考えていく中で生まれたのが、現在の経営理念です。
「想いを“カタチ”にして積み上げる」
そして経営ビジョン、
「日本全国に響き渡る物語をつむぐ」
という言葉です。もちろん、100年史にこの言葉が書かれているわけではありません。100年以上の歴史をたどり、そこに残された人々の想いや仕事を知ったからこそ、現在の私たちなりの言葉として生まれたものです。考えてみれば、現在の岡田煉瓦の核となっているものの中にも、100年史から受け取ったものが息づいているのかもしれません。
今度は、私たちが残す側になる
前回のコラムでは、岡田煉瓦の敷地に残る「丁窯」を紹介しました。昔からそこにある、朽ちた窯。しかし100年史や古い資料を調べてみると、その窯には「丁窯」という名前があり、耐火煉瓦を焼いていたことや、当時の実測図まで残されていることが分かりました。ものが残っているだけでは、その物語までは分かりません。誰かが調べ、聞き、記録として残してくれたから、約30年後の私たちにも、その意味を知ることができます。今回、100年史がつくられた経緯を聞いて、改めてそのことを感じました。そして考えてみれば、今こうして私が書いているコラムも、同じなのかもしれません。昔の資料を調べる。当時を知る人に話を聞く。製品や工場の写真を残す。そして、それを一つの物語として文章にする。1997年に「100年の歴史を残そう」と動いた人たちの行動に、約30年後の私も触発されているのかもしれません。
100年の記録から、130年の物語へ
2027年4月、岡田煉瓦は創業130周年を迎えます。100年史がつくられてから、30年。当時を知る人の記憶も、昔の工場の姿も、少しずつ失われていきます。だからこそ今、色褪せてしまう前に、物語をつむいでおきたい。私が『岡田煉瓦100年史』に助けられたように、今残す記録が、いつか岡田煉瓦を受け継ぐ誰かの助けになるかもしれません。100年史から受け取ったものを、今度は私たちが次の世代へ。煉瓦だけではなく、そこに込められた想いや物語も積み上げていく。それもまた、「想いを“カタチ”にして積み上げる」ということなのだと思います。そしてこれからも、岡田煉瓦に残る物語を、一つずつつむいでいきたいと思います。
100年の記録から、130年の物語へ。
『岡田煉瓦100年史』が私たちに残してくれたものを、今度は私たちが次の世代へつないでいきます。





