2026.10.07
日本陶器とともに磨かれた、岡田煉瓦の品質
― 「謹製」という言葉に受け継がれる、ものづくりの原点 ―
岡田煉瓦の歴史を調べるとき、私がこれまで特に意識してきた建物があります。「半田赤レンガ建物」です。岡田煉瓦が創業した翌年、明治31年(1898年)に竣工した建物で、明治建築界の三大巨匠の一人とされる妻木頼黄氏が設計に携わっています。岡田煉瓦に残る記録の中でも非常に古い仕事であり、私自身、岡田煉瓦の創業当時を知るうえで、この建物を意識することが多くありました。

しかし最近、『岡田煉瓦100年史』を改めて読み返していて、もう一つ気になる名前がありました。「日本陶器株式会社」。現在のノリタケカンパニーリミテドにつながる会社です。ノリタケの森には、私自身も遊びに行くことがあります。そこに赤レンガの建物が残っていることも、もちろん知っていました。それでも、そのレンガと岡田煉瓦の関係について、これまで深く考えたことはありませんでした。
日本陶器との始まりは、明治40年
『岡田煉瓦100年史』をたどると、日本陶器との関係は明治40年(1907年)に竣工した製土工場にさかのぼります。現在のノリタケの森にも、赤レンガの建物が残されています。

私はこれまで、これらの建物について一つ思い込んでいたことがありました。当時は、現在とは比較にならないほど多くの煉瓦工場がありました。そのため、半田赤レンガ建物と同じように、日本陶器の工場にも複数の煉瓦メーカーが関わり、大量の煉瓦を供給したのだろうと思っていたのです。ところが今回、改めて会長の岡田に聞いてみると、
「日本陶器で使われた煉瓦は、すべてうちでつくっていた」
という話を聞くことができました。私にとっては意外な話でした。何度も訪れていたノリタケの森の赤レンガが、急に自分たちの会社の歴史として見えてきたのです。もちろん、これは当時の日本陶器へ納入した煉瓦についての話であり、近年行われた補修や改修まで含めて、現在あるすべての煉瓦が岡田煉瓦製という意味ではありません。
「日本陶器株式会社 納入製品製造部」
さらに『岡田煉瓦100年史』には、興味深い記録があります。「日本陶器株式会社 納入製品製造部」

私はこの言葉の意味を、これまで勘違いしていました。「日本陶器が岡田煉瓦の代理店となり、岡田煉瓦の製品を販売していたのではないか」そんなふうに考えていたのです。しかし会長に確認すると、そうではありませんでした。これは、日本陶器で使用する煉瓦を製造するための部門だったそうです。それだけ日本陶器との取引が、当時の岡田煉瓦にとって大きなものであったことが分かります。そして、この関係は単に「たくさんの煉瓦を納めた」というだけではありませんでした。日本陶器から求められたものが、岡田煉瓦のものづくりそのものを変えていきます。
求められたのは、「品質の高い煉瓦」
日本陶器から求められたのは、品質の高い煉瓦でした。その要求に応えるため、岡田煉瓦でも製造方法の改良が進められていきます。昭和8年(1933年)には、ハンドプレスによる成形を開始。さらに生産性を高めるため、土練機とロール型成形機による「押し出し成形」も始まっていきました。100年史を読み返していて、私が特に興味深いと感じたのはここでした。日本陶器との関係は、単なる納入先と製造メーカーという関係ではなかった。お客様から高い品質を求められ、それに応えようとしたことが、岡田煉瓦の製造技術を進歩させていった。日本陶器とともに、岡田煉瓦も成長していったのだと思います。
昭和16年、耐圧強度試験で全国2位
そして昭和16年(1941年)。岡田煉瓦の煉瓦は、耐圧強度試験で全国2位という結果を残しています。

この記録を見たとき、以前コラムで調べた「浦賀ドック」のことを思い出しました。明治32年(1899年)に完成した浦賀ドックでは、当初予定されていた煉瓦に品質上の問題があり、その後、岡田煉瓦が大量の煉瓦を納めることになります。創業間もない明治の岡田煉瓦に求められたものも、やはり「品質」でした。それから40年以上が経った昭和16年。日本陶器から高い品質を求められ、それに応えるために製造方法を改良してきた岡田煉瓦が、耐圧強度試験で全国2位という結果を残しています。もちろん、浦賀、日本陶器、全国2位という結果を、単純な因果関係として結びつけることはできません。それでも、100年史に残された出来事を時代に沿ってつないでみると、一つのものが見えてきます。「より良い煉瓦をつくる。」その姿勢は、創業当時から岡田煉瓦の中に流れていたのではないでしょうか。
シンプルな煉瓦だからこそ
煉瓦は、とてもシンプルな製品です。粘土を成形し、乾燥させ、焼く。現在の岡田煉瓦がつくっている煉瓦も、見た目だけなら非常にシンプルです。しかし、その一個の煉瓦が現在の形になるまでには、長い時間をかけて積み重ねてきたものがあります。浦賀で品質を求められたこと。日本陶器から、さらに高い品質を求められたこと。それに応えるために、成形方法を変え、設備を導入し、技術を磨いてきたこと。その積み重ねの先に、現在の岡田煉瓦があります。
西洋から伝わった煉瓦と、日本のものづくり
煉瓦は、西洋から伝わってきた素材です。日本では幕末から明治にかけて、西洋建築とともに煉瓦が広がっていきました。しかし、日本に残る明治期の煉瓦建築を見ていると、単に西洋の建築をそのまま持ってきたものとは、少し違うように感じます。西洋から入ってきた煉瓦や建築技術と、日本人がそれまで培ってきた感覚や文化。それらが混ざり合い、日本独自の佇まいをつくっている。私は、そんな明治期の「和洋折衷」の建物や文化が好きです。そして岡田煉瓦が創業したのも、まさにその明治時代でした。
新しいロゴに入れた「謹製」
現在の岡田煉瓦のロゴには、「OKADA BRICK」という英字と、その中央に、「謹製」という二つの漢字を入れています。

このロゴは、昔から使い続けてきたものではありません。代が変わったときに、新しくつくったロゴです。だからこそ、これまで岡田煉瓦が大切にしてきたものと、これからも大切にしていきたいものを、このマークに込めました。改めて見ると、「OKADA BRICK」と「謹製」という組み合わせも、どこか岡田煉瓦らしいものだと感じています。
西洋から伝わった「BRICK」。
日本のものづくりを感じさせる「謹製」。
英字と漢字が、一つのマークの中にあります。ロゴをつくったときから、明治の「和洋折衷」を直接表現しようと考えていたわけではありません。しかし今回、100年史を読み返し、日本陶器との関係を調べ、改めて会社の歴史を振り返ってみると、この組み合わせも明治創業の岡田煉瓦らしいものだったのだと感じています。そして、このロゴの中で私たちが大切にしたのが、
「謹製」
という二文字です。「謹製」とは、謹んでつくること。創業当時から、お客様から求められる品質に応えようとしてきたこと。より良い煉瓦をつくるために、製造方法を変え、設備を導入し、技術を磨いてきたこと。今回、日本陶器との歴史を改めて調べてみると、「より良い煉瓦をつくる」という姿勢は、今の私たちが新しく考えたものではなかったことが分かります。時代が変わり、設備が変わり、つくる製品も変わりました。そして、代も変わりました。それでも、ものづくりに向き合う姿勢は受け継いでいきたい。シンプルな煉瓦を、きちんとつくる。過去と同じものを、そのまま続けるという意味ではありません。時代に合わせて変えるものは変えていく。その一方で、先代たちが積み上げてきた、ものづくりへの姿勢は次の時代へつないでいく。その想いを、私たちは新しいロゴの「謹製」という二文字にも込めています。西洋から伝わった「BRICK」と、日本のものづくりを表す「謹製」。明治に創業した岡田煉瓦らしく、その二つを一つのロゴに掲げながら、これからの岡田煉瓦をつくっていきたいと思います。





