OKADA BRICK 岡田煉瓦製造所

Column

コラム

「謹製」という言葉に込めて

受け継がれる、
 ものづくりの姿勢

2026.04.10

半田、浦賀、佐世保。岡田煉瓦の謎。

半田、浦賀、佐世保。地図の上では離れた場所にあるこの三つの地域に、同じ時期、同じレンガメーカーのレンガが使われていた――。その事実を知った時、私は強い不思議さを感じました。

明治31年(1898年)に竣工した 半田赤レンガ建物。翌、明治32年(1899年)には 浦賀ドック へ100万個のレンガを納入。そして近年、長崎県埋蔵文化財センター様からのご連絡によって、同時期の 佐世保 でも岡田煉瓦のレンガが確認されました。もちろん、明治時代にレンガが全国で使われていたこと自体は珍しいことではありません。しかし、当時は日本全国に約1000社ものレンガメーカーが存在していたと言われています。その中で、なぜ愛知の一地方メーカーであった岡田煉瓦のレンガが、これらの重要拠点で使われていたのか。そこには、まだ解明されていない大きな謎があります。

特に浦賀ドックの資料は非常に興味深い内容でした。当初、浦賀では久比里にレンガ製造所を新設し、現地生産を試みていました。しかし品質不良により契約解除となり、さらにはレンガ以外の材料の採用まで検討されていたと記されています。その緊迫した状況の中で、最終的に選ばれたのが岡田煉瓦でした。誰か技師や関係者の推薦があったのか。

インターネットも電話網も十分ではない時代です。だからこそ、「このレンガは良い」という評価は、人から人へと伝わっていったのかもしれません。

半田、浦賀、佐世保。それぞれ別の場所で起きた出来事のようでありながら、時代を追っていくと、不思議と一本の線でつながっているように感じます。近代日本が急速に発展していった明治という時代。港湾、造船、軍港、産業建築――そうした国家規模のプロジェクトの裏側で、どのように材料が選ばれ、どのように技術や情報が共有されていたのか。そこには、まだ語られていない歴史が数多く眠っているように思います。

130年続くレンガメーカーとして、私たちは単に「昔から続く会社」というだけではなく、「なぜ選ばれたのか」という理由そのものを、次の世代へ残していきたいと考えています。

歴史は、まだ解明されていません。だからこそ面白い。半田、浦賀、佐世保――。この三つの点が、これからどんな線になっていくのか。今、とてもワクワクしています。

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