2026.08.29
60歳、今も現役。
2つのトンネル窯を見てきた、岡田煉瓦の煙突
岡田煉瓦の工場には、一本の大きな煙突があります。毎日会社にいる私たちにとっては、そこにあるのが当たり前。普段、わざわざ立ち止まって見上げることも、それほどありません。でも、この煙突。実は、昭和41年(1966年)生まれ。2026年で、ちょうど60歳になります。人間でいえば還暦です。そして60歳になった今も、岡田煉瓦のレンガづくりを支える現役の煙突です。
煙突ができる、その一年前
昭和40年(1965年)。岡田煉瓦では、30mのトンネル窯が完成しました。当時の航空写真を見ると、工場の周囲には広い田畑が広がっています。ここで昔と今を見比べてみると、少し面白いことに気づきます。普通なら、
「60年も経てば、周囲の景色はすっかり変わった」
と書きたくなるところです。でも、岡田煉瓦の周辺は、意外なほどそうではありません。もちろん道路や住宅は増えましたし、工場の建物や設備も変わっています。それでも今も、根崎町の周りには田畑が多く残っています。60年前の写真と現在の航空写真を見比べても、土地の雰囲気そのものはどこか似ています。安城は、かつて「日本のデンマーク」と呼ばれた農業の盛んな地域です。岡田煉瓦のある根崎町にも、今なおその景色が残っています。

▲ 昭和40年(1965年)、30mトンネル窯が完成したころの岡田煉瓦。工場の周囲には広い田畑が広がっています。
昭和41年、新しい煙突が立ちました
その翌年、昭和41年(1966年)。30mトンネル窯とともにレンガを焼いていくため、新しい煙突が完成しました。写真に写っているのは、完成したばかりの煙突です。今の姿を毎日見ている私たちからすると、ずいぶん若く見えます。このときから、煙突の長い仕事が始まりました。レンガを焼く日も。工場が忙しい日も。そこで働く人が入れ替わっても。煙突は、同じ場所に立ち続けてきました。

▲ 昭和41年(1966年)に完成した新しい煙突。ここから60年にわたる仕事が始まりました。
相棒だった30mトンネル窯との別れ
それから21年。昭和62年(1987年)、30mトンネル窯は最後の操業を迎えました。残っている写真には、当時の設備だけではなく、そこでレンガづくりに携わっていた人たちの姿も写っています。煙突が60年間見てきたのは、窯や工場だけではありません。そこでレンガをつくってきた人たちも見てきました。時代とともに設備は変わります。働く人も代替わりしていきます。そして、30mトンネル窯も役目を終える日を迎えました。

▲ 昭和62年(1987年)、30mトンネル窯での最後の作業。設備とともに、当時レンガづくりを支えた人たちの姿も残っています。
窯は代替わり。でも、煙突は続投。
30mトンネル窯が役目を終えた昭和62年。同じ年に、現在につながる60mトンネル窯が竣工しました。30mから60mへ。レンガを焼く窯は、新しい世代へとバトンタッチします。ところが、煙突は引退しませんでした。新しくなった60mトンネル窯でも、そのまま使われることになったのです。言ってみれば、相棒の窯は代替わりしても、煙突はそのまま続投。30mトンネル窯の時代を知り、60mトンネル窯の時代も知っている。現在の工場の中でも、長い時間をつないできた大切な設備の一つです。
変わらなかったから、続けてこられたのかもしれない
60年前と現在を見比べて、もう一つ感じることがあります。それは、岡田煉瓦の周りの環境が、大きく変わりすぎなかったことです。同じようにレンガや焼き物をつくってきた工場でも、時代とともに周辺の宅地化が進み、昔とまったく違う環境になったところは少なくありません。焼き物をつくる工場には、窯があります。大型車両も出入りします。原料を置く場所も、製品を置く場所も必要です。ある程度の広さと、ものづくりを続けられる周辺環境が欠かせません。岡田煉瓦のある根崎町には、今も工場の周りに田畑が残っています。もちろん60年間、何も変わらなかったわけではありません。それでも、レンガをつくる場所としての環境が残ってきた。それは、岡田煉瓦が現在までこの場所でレンガを焼き続けてこられた理由の一つなのかもしれません。「変わること」がいつも良いわけではない。変わらずに残ってきたものが、今のものづくりを支えている。煙突と周囲の景色を見ていると、そんなことも感じます。

▲ 現在の岡田煉瓦周辺。住宅や道路は増えましたが、工場の周囲には今も田畑が広がり、根崎町らしい景色が残っています。
60年も働けば、煙突だって歳をとります
そして現在。昭和41年に完成した煙突は、2026年で60年を迎えました。もちろん、新しかったころの姿のままではありません。近くで見ると、長い年月を感じます。傷んだところもあります。補修した跡もあります。鉄のバンドも巻かれています。昭和41年の写真と現在の写真を並べると、「ずいぶん貫禄がついたな」と思います。でも、それでいいのだと思います。60年間使い続けてきたからこそ残った跡です。新品のころにはなかった一つひとつの跡も、岡田煉瓦がここでレンガを焼き続けてきた時間の一部です。

▲ 2026年、60歳を迎えた現在の煙突。補修を重ねながら、今も60mトンネル窯とともに現役で働いています。
変わるものと、変わらないもの
会社は変わりました。窯も変わりました。レンガのつくり方も、設備も少しずつ変わってきました。そこで働く人たちも、世代を重ねています。一方で、煙突は同じ場所に立っています。そして工場の周りには、今も田畑が広がっています。60年という時間の中には、変わってきたものと、変わらず残ってきたものがあります。どちらか一方だけでは、今の岡田煉瓦はなかったのかもしれません。新しいものを取り入れながら、残すべきものは残していく。そんな積み重ねの中で、今日もレンガをつくっています。そして、明日会社に来ても、煙突はきっといつもの場所に立っています。普段はあまり見上げることのない煙突ですが、たまには見上げて、
「今日も見てるな。」
そんなふうに思うのも、いいのかもしれません。





