OKADA BRICK 岡田煉瓦製造所

Column

コラム

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 ものづくりの姿勢

2026.10.02

明治から続く、岡田煉瓦「焼過」の系譜①

― 同じ「還元焼成」なのに、なぜ色が違った? ―

最近、煉瓦の焼成について、とても興味深い出来事がありました。岡田煉瓦で成形・乾燥まで行った赤系の煉瓦を、別の煉瓦メーカーさんにお願いして焼いていただく機会がありました。焼く前の煉瓦、いわゆる「白地」は同じものです。そして、どちらも「還元焼成」。そのため、多少の違いはあっても、同じような色に焼き上がるものだと思っていました。ところが、実際に焼き上がった煉瓦を見て驚きました。

岡田煉瓦で焼くと、赤紫色。

別の窯で焼くと、茶色。

同じ白地を、同じ「還元焼成」で焼いたはずなのに、まったく違う表情になったのです。

この違いが、今回の話の始まりです。

「還元焼成」は、一つではなかった

岡田煉瓦では、昔から還元焼成を行っています。私自身、その方法を特別なものだとは考えていませんでした。ところが今回、別のメーカーさんの焼き方を知り、さらに窯業を学んだ方と話をする中で、自分たちにとっての「当たり前」が、必ずしも窯業全体の当たり前ではないことに気づきました。還元焼成とは、簡単に言えば、燃料が完全燃焼するために必要な酸素が不足した状態をつくって焼成する方法です。その方法の一つとして、窯へ送る空気を減らし、酸素の少ない状態をつくる方法があります。ところが、岡田煉瓦のやり方は少し違います。

空気を減らすのではなく、重油を増やす

岡田煉瓦の窯では、通常の重油供給とは別に、還元時に重油を追加する仕組みがあります。還元時には重油を追加し、燃料を多くすることで、相対的に酸素が不足した状態をつくります。つまり、

「空気を減らす」のではなく、「燃料を増やす」。

それが、私たちが昔から行ってきた還元焼成です。

現在は、還元と通常の燃焼状態を一定時間ごとに繰り返しています。還元時には重油を追加することで火が強くなり、温度も上がっていきます。その後、追加していた重油を止めると火が小さくなり、温度は設定値へ向かって下がっていく。そして、再び還元へ。このサイクルを繰り返しながら、岡田煉瓦の「焼過」を焼いています。

同じ粘土でも、焼き方で色が変わる

煉瓦の色は、原料だけで決まるものではありません。原料に含まれる成分、焼成温度、そして窯の中の雰囲気など、さまざまな条件によって焼き上がりの色は変化します。今回の煉瓦は、同じ白地です。それなのに、一方は茶色。岡田煉瓦では赤紫色。その違いを実際に目の前で見たことで、私は初めて、

「では、なぜ岡田煉瓦はこの焼き方なのだろう?」

と考えるようになりました。

なぜ、わざわざ重油を追加するのか

ここからが、今回もっとも興味を持ったところです。還元状態をつくることだけが目的なら、空気を減らす方法もあります。それなのに岡田煉瓦では、わざわざ重油を追加する。当然、その分だけ燃料も必要になります。しかも、岡田煉瓦の還元は、色を変えるだけではなく、還元中にも強く熱を加えていく焼き方です。なぜ、こんな焼き方をしているのでしょうか。これまで私は、深く考えたことがありませんでした。昔から、そうやって焼いてきたからです。今回、この特徴を考えるために、この三部作の中では仮に、「強熱還元」と呼んでみることにします。これは正式な窯業用語ではありません。あくまで、重油を追加しながら還元し、同時に強く熱を加えていく岡田煉瓦の焼き方を考えるための呼び方です。

「焼過」ではなく、「赤還元」だと思っていた

実は以前から、私は一つ気になっていたことがありました。岡田煉瓦では、この赤紫色から黒紫色をした煉瓦を昔から、「焼過(やきすぎ)」と呼んでいます。しかし、現在の「焼過」は、昔の窯の中で偶然焼き過ぎてしまった煉瓦ではありません。温度や焼成条件を管理し、意図してつくっています。だから私は、

「昔からの名前が残っているだけで、技術的には『赤還元』と呼んだ方が正しいのではないか」

と思っていました。「焼過」という言葉には、「焼き過ぎてしまったもの」という少し古い印象もあります。製品を説明するなら、「赤還元」の方が分かりやすいようにも思えました。ところが今回、他社の還元焼成を知ったことで、その考えが少し変わりました。同じ白地。同じ「還元焼成」。それなのに、焼き上がりが違う。そして改めて自分たちの窯を見ると、岡田煉瓦では、わざわざ重油を追加しながら強く熱を加えている。そこで、ふと思いました。もしかすると、私たちが焼いているものは、単なる「赤還元」ではないのではないか。

答えを探したら、明治時代まで遡った

では、なぜ岡田煉瓦は、この焼き方をしているのでしょうか。現在の窯だけを見ても、その答えは分かりません。そこで、岡田煉瓦の歴史を遡ってみることにしました。すると、現在のトンネル窯ができるより、はるか昔。岡田煉瓦が創業した明治時代まで遡ることになります。そして1899年、明治32年に完成した浦賀ドックに関する記録の中に、非常に興味深い言葉が残っていました。「上等焼過煉瓦」「上等」は、当時の品質や等級を表す言葉と考えられます。私が注目したのは、その後に続く二文字です。「焼過」。現在から120年以上前。創業間もない岡田煉瓦に、すでに「焼過」と呼ばれる煉瓦がありました。私たちが現在も当たり前のように使っている「焼過」という名前を、明治時代まで遡ることができるのです。同じ白地を焼いたら、なぜ色が違ったのか。そんな小さな疑問から始まった話が、思いがけず120年以上前の岡田煉瓦へとつながりました。「焼過」とは、もともとどのような煉瓦だったのか。そして、なぜ遠く三河で焼かれた「焼過」が、浦賀まで運ばれたのか。次回は、明治32年の浦賀ドックに残された記録から、岡田煉瓦「焼過」の系譜をさらに遡ってみたいと思います。

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